禁断の妄想‥以来、私とゆきちゃんは、気まずくなりました。どうやらゆきちゃんと石田もいちどきりの関係で終わったようですが、石田はそれなりに、ゆきちゃんをいい気分にさせてくれたようです。
どうせヴァージンを捧げるなら、小林より石田のほうがよかった。私は嫉妬心からゆきちゃんを遠ざけるようになりました。
処女喪失の一件以来、私はすっかり自信をなくしました。逆にゆきちゃんは石田に抱かれたことで自信をつけたのか、いくらもしないうちに恋人を作り、見た目もどんどん派手になって、そのうち会社を辞めました。
ゆきちゃんがいなくなると、週末ごとに都心に遊びに行く習慣も途絶え、私は職場と寮を往復するだけの、地味な生活に逆戻りしました。(どうせ私なんか、ただの田舎娘都会じゃ誰にも見向きもされないんだわ)
私は無理な背伸びはやめ、誠実で堅実な男性と、平凡な家庭を作ることに、目標を切り替えようとしました。
私は22歳の時、職場の先輩の紹介で、山崎祐介と言う男性と交際を始めました。
祐介はルックスはイマイチでしたが、新宿副都心にある有名なホテルで働いていました。祐介とは5回目のデートで体の関係を持ちました。
ホテルマンは時間が不規則なのがなんですが、給料は悪くなさそうだし、転職も女男にないと聞いて、私は(まあこの人でもいいか)と感じていました。
ところが交際して1年近くが過ぎた頃、祐介の方から別れを切り出されました。
「なんか、ちょっと違う…て感じなんだよね」そう言われて、私は目がくらむほど腹が立ちました。それほど好きでもない相手と、我慢して付き合っていたのは私の方なのに…。
それが「ちょっと違う」と言う理由で振られるなんて!またしても自信喪失でした。(私ってそんなにつまらない女なの?)
いっそ田舎に戻ろうかとも考えましたが、今更雪深いの田舎町で暮らすのもやはりいやでした。
後に夫となる山口真一と出会えたの私が25歳の時です。真一は私より3歳年上ですが、中途採用の営業マンとして、会社に入社してきました。
最初は印象の薄い人でした。真一はルックスは並みだし、控えめなタイプです。最初に就職で声をかけられた時も、私は大して気に留めませんでした。
しかし、やがて食事や映画に誘われ、特に断る理由もなかったので付き合ううちに、いつしか社内でも公認のカップルになっていました。
付き合ってみればとても真面目で優しい人でした。例えば私が待ち合わせにかなり遅れても、決して怒ったりせずに「ああ、あえてよかった!」と満面の笑みで迎えてくれました。
反対に彼が何かの事情で遅れた時は、それこそ必死の形相で、息せき切って駆けつけてきました。この人なら間違いないと考えて結婚したのは26歳の時です。
実家の両親も真一を気に入り、皆に祝福された結婚でした。 私は結婚と同時に退職しました。2人の子供にも恵まれ、結婚7年目には、現在住んでいる家を買いました。
都心のマンションで暮らすと言う若い頃の夢とは違いましたが、一戸建てのマイホームを手にしたのだから文句はいえません。
夫の真面目な仕事ぶりが評価され、職場で順調に地位を上げてくれたおかげです。 休日には家族揃って遊園地やショッピングセンターに行くのが楽しみでした。
夫は子煩悩で、私にに対しても結婚前と変わらずに優しく接してくれました。「ほんとにいい人と結婚したわね」実家の母はしばしばそう言いました。
最初のころは私も心からうんと答えていましたが、いつ頃のからか、確信を持ってうんと頷きない自分に気が付きました。
贅沢な悩みだと分かっていましたが、私を穏やかすぎる生活に、物足りなさを感じはじめていたのです。子供たちが成長すると、母親としての役目は激減します。
あべこべに夫は年々仕事に忙殺され、家にいる時間は少なくなりました。
夫が勤めるか使命感は、私がいた頃より今日も拡大し、大手スーパーと提携したこともあって、順調に売り上げ上げを伸ばしてきました。
その分、中間管理職の夫は多忙になったのです。おかげで私は暇を持て余しました。そんな時にふっとよみがえっていたのは、処女喪失の日のことでした。
小林と言う行きずりの男にいいように弄ばれた、あの頃のことは、決して楽しい思い出ではありません。できれば忘れてしまいたい、青春の汚点でした。
それなのに…。私はなぜか繰り返しあの日のことを回想しました。そして嫌悪感とは裏腹に体の芯がうずくのを覚えました。40代も半ばになって、夫と抱き合うのは月に1、2度で、私もそのペースに不満はありませんでした。
そもそも私は淡白な質なのか、小説にあるような「絶頂」とか「めくるめく快感」なんてものは想像もつきませんでした。
多分フィクションならではの大げさな表現なのだろうと考えていました。私にとって夫に望まれたら素直に体を開くのは妻の務め。
自分から積極的にセックスをせがんだことありません。ところが処女喪失の日のこと思い出すと、私は何故か身体が切なくなりました。
小林は夫とは対照的な、卑劣男でした。私を売春婦のように扱い、ひどい屈辱を与えました。それなのにそのひどい経験を思い出して、性的興奮を覚えるなんて!自分でも呆れました。
(もしかして私は性的異常者なの?売春婦のようにに扱われることに、歪んだ悦びを覚えるとか?)
どんなに押し込めようとしても、一旦私の中に生まれた奇妙な興奮は、なかなか消えませんでした。
そして、それはやがて『売春婦になって男に弄ばれたい』と言うとんでもない妄想に発展したのです。
しかしそんな途方もない妄想が、まさか現実になるなんて。私は去年の9月に、ちょうど50歳になりました。その1、2年前から、妙に体がだるかったりちょっとしたことでカッと興奮したりすることがありました。
どうやら閉経が近いらしいと勘でわかりました。事実これまでは正確な周期で訪れていた月経が乱れがちになりました。
同じ女性なら分かると思いますが、月経のような面倒なものからは早く解放されたいと考える一方で、閉経が近いと思うと、やはり主の寂しさや焦りを覚えます。
いわゆる更年期障害のせいで、私の精神状態不安定でした。そのせいなのか(売春婦になって男に弄ばれたい)と言うとんでもない妄想に囚われたのです。
50歳の誕生日には一家で横浜中華街のレストランに行き、夫や子供たちからプレゼントもらって楽しく過ごしました。ただし、楽しい気分も長続きしませんでした。。。
誕生日の3日後のことです。たまたま新宿に買い物に出かけた私は、駅の近くで配られていた広告入りのティッシュを受け取りました。
何気なく受け取ったティッシュを見ると、かわいい女の子のイラストがついた広告は、どうやら風俗店のものでした。
「疲れたあなたを優しく癒します」とか「素人女性が真心でサービス」といった宣伝文句は婉曲でしたが、体の良い売春に違いないとぴんときました。
さらに下の方を見ると「コンパニオン募集」「熟女大歓迎」の文字がありました。私は急に体が火照るのかんじました。
昼日中の駅前で、堂々と売春の広告が配られているなんて!いえ、正直に言えば私が衝撃を受けたのは「熟女大歓迎」の文字、そんな広告のついたティッシュが他でもない私に手渡されたことでした。
私は思わず背後振り向きましたが、ティッシュ配りの男はすでに雑多に紛れて確認できませんでした。(私にこれをくれたと言う事は、私でもコンパニオンになれると言うこと?)ずいぶん飛躍した考えです。
実際のところ、ティッシュ配りのバイトは、一刻も早く配り終えることだけを考えて、いちいち相手の顔などを見てはいないでしょう。
ただしその時の私はティッシュをもらったことを何かの啓示のように感じました。Mと言うクラブに、実際電話したのはそれから1週間とのことです。その間私は何度も(ばかばかしい)と忘れようとしましたが、結局広告を捨てることできませんでした。